Mバウムクーヘンとヒロシマロゴ
おじいさん颯太

原作 巣山ひろみ

(くもん出版刊)

第68回産経児童出版文化賞産経新聞社賞受賞

やじるし
やじるし

脚本・作詞 大西弘記(TOKYOハンバーグ)

演出 磯村 純(青年座)

音楽 田中和音

チラシイラスト
Karl Joseph Wilhelm Juchheim

お菓子をつくることは、平和をつくること……
二つの戦争を越えたバウムクーヘンの夢がつなぐ
グレートジャーニー

第68回産経児童出版文化賞産経新聞社賞を受賞した、著:巣山ひろみ、絵:銀杏早苗による同名の児童書を2023年にイッツフォーリーズによりミュージカル化した作品です。日本で初めてバウムクーヘンを焼いたのは、捕虜として広島に連れてこられたカール・ユーハイム。販売された場所は、のちに原爆ドームとよばれるようになる建物だった、という実話をもとに、カールが捕虜として収容されていた広島県の似島を少年・颯太が訪れたことから、平和の大切さを学ぶ物語です。脚本・作詞はTOKYOハンバーグの大西弘記が、演出は青年座の磯村純が務め、子どもたちはもとより、幅広い世代に大変評判を頂きました。この度、被爆80周年記念事業として、物語の舞台となる、広島市での公演が決定いたしました。日本でのバウムクーヘンの歴史と、ふたつの世界大戦を通して、平和とは何かを考える本作品の広島公演にどうぞご期待ください。

Künstlerin und Künstler

出演

森山真衣

森山真衣

颯太

Sota

半澤 昇

半澤 昇

カール・ユーハイム

Karl Juchheim

石鍋多加史

石鍋多加史

おじいさん

Großvater

森 隆二

森 隆二

ドイツ人捕虜 オートマー

Othmer

堀内俊哉<

堀内俊哉

ドイツ人捕虜 ウォルシュケ

Wollschke

鈴木彩子

鈴木彩子

フミさん

Fumi

大川 永

大川 永

エリーゼ

Elise

成観 礼

成観 礼

美晴

Miharu

吉田美緒

吉田美緒

優斗

Yuto

田中桃羽

田中桃羽

絵真理

Emari

鳴 梓紗

鳴 梓紗

灯央

Theo

和田裕太

和田裕太

プレヒト

Precht

ものがたり Geschichte

颯太は広島に住む小学生。1学期最後の日、颯太は夏休みに似島(にのしま)で行われるピース・キャンプのチラシを受け取りました。キャンプではバウムクーヘン作りが体験出来ると書いてあり、颯太はキャンプに参加したくてたまりません。なぜなら颯太は大好きなおじいさんがいつもお土産に持ってくるバウムクーヘンが何より大好物だから。自分でバウムクーヘンが作れるなんて!颯太がキャンプへ参加したいとお母さんにせがんでいると、おじいさんが颯太の家にやって来ました。颯太から似島へ行く話を聞いたおじいさんは、自分の父もバウムクーヘンが好きだったこと、そして、日本で初めてドイツ人がバウムクーヘンを作ったことを話し始めます。それは、100年以上も前、颯太のひいおじいさんが子どもの頃のお話でした……。

Story

Sota is an elementary school student living in Hiroshima.On the last day of the first semester (around mid-July in Japan), Sota received a leaflet at school for Peace Camp on Ninoshima during the summer vacation. It was written that they could experience making Baumkuchen at the camp, so Sota was looking forward to join the camp very much. Because Sota's favorite food is Baumkuchen, which his beloved grandfather always brings as a gift. “I can't believe I can make my own Baumkuchen!” When Sota was pestering his mother to participate in the camp, his grandfather came to Sota's house. After hearing from Sota about going to Ninoshima, the grandfather starts talking about Karl Juchheim, the German who made the Baumkuchen first time in Japan. That was more than 100 years ago, this is a story about when Sota's great-grandfather was a child... about Karl Juchheim

スタッフ

原作 巣山ひろみ(くもん出版刊)
脚本・作詞 大西弘記(TOKYOハンバーグ)
演出 磯村 純(青年座)
音楽 田中和音
美術 根来美咲(青年座)
振付 明羽美姫(イッツフォーリーズ)
照明 鷲崎淳一郎(ライティングユニオン)
音響 返町吉保(キャンビット)
衣裳 富永美夏
歌唱指導 佳田亜樹
舞台監督 赤坂有紀子
絵・題字 銀杏早苗
制作 鎌田奈々美
特別協賛 株式会社ユーハイム
協力 株式会社くもん出版
協力 劇団青年座
協力 有限会社オーチャード
協力 サンビーム
協力 TOKYOハンバーグ
協力 東宝芸能
助成 文化庁「劇場・音楽堂等における子供舞台芸術鑑賞体験支援事業」
主催 ミュージカル「バウムクーヘンとヒロシマ」広島公演実行委員会
企画・制作 株式会社オールスタッフ
企画・制作 ミュージカルカンパニー イッツフォーリーズ

原作は、第68回産経児童出版文化賞産経新聞社賞を受賞した、巣山ひろみ原作の「バウムクーヘンとヒロシマ」。似島を訪れた小学生の颯太が、日本で初めてバウムクーヘンを作ったカール・ユーハイムのことを知り、平和の尊さを学んでいく物語です。 脚本・作詞はTOKYOハンバーグの大西弘記、演出は青年座の磯村純が担当。颯太のおじいさん役はミュージカル界の重鎮・石鍋多加史がつとめます。バウムクーヘンの夢がつなぐ平和のバトン。バウムクーヘンを食べるとき、あなたもカールに思いを馳せてみてください。

Baumkuchen und Hiroshima

公演概要

公演日時

2025年11月16日(日)
11時開演/14時30分開演 2回公演

18歳以下の子供たちをご招待

  • 【18歳以下無料招待】令和7年度文化庁 劇場・音楽堂等における子供舞台芸術鑑賞体験支援事業
  •  * 
  • 本公演は、子供たちが劇場・音楽堂等において本格的な実演芸術を鑑賞・体験等する機会を提供する取組を文化庁支援のもとで行われる公演で、18歳以下の子供たち、先着646名を御招待いたします。
  • この貴重な機会に、ひとりでも多くの子供たちが本物の舞台にふれて、舞台芸術のすばらしさをご実感いただければ幸いです。
  • 申込資格
  • 2007年4月2日~2021年4月1日に生まれた方(4歳以上~18歳以下)
  • ※2007年4月1日以前に生まれた方は、公演当日18歳であっても対象外となります。
  • ※3歳未満は、親子室または、保護者の膝上にて鑑賞をお願いいたします。

JMSアステールプラザ 大ホール

入場料

全指定席・税込、3歳以下膝上無料
  • 前売 5,000円
  • 当日 5,500円
  • U18 3,500円(18歳以下、前売りのみ、当日要年齢確認証、オールスタッフのみ取扱)

チケット取り扱い

  • ※本公演のアステールプラザのチケット取扱はなくなりました
  • 18歳以下の子供たち先着646名を公演にご招待!


    「令和7年度 劇場・音楽堂等における子供舞台芸術鑑賞体験支援事業」として、4歳以上~18歳以下(2007年4月2日~2021年4月1日に生まれた方)646名を無料でご招待いたします。

    ◎文化庁「劇場・音楽堂等における子供舞台芸術鑑賞体験支援事業」の趣旨・目的◎
    子供たちが本格的な実演芸術を鑑賞・体験する機会を提供する取り組みを支援することにより、豊かな人間性の涵養を図るとともに、将来の文化芸術の担い手や観客育成に資することを目的としています。


    • 対象
    • 2007年4月2日~2021年4月1日に生まれた方(4歳以上~18歳以下)
    • ※3歳以下は膝上無料。
    • ※2007年4月1日以前に生まれた方は、公演当日18歳であっても【対象外】となります。
    • ※公演当日は、子供無料対象者のお名前と生年月日が確認できる本人確認書類(生徒手帳・健康保険証・マイナンバーカードなど)を必ず全員分お持ちください。
    • ※年齢が確認できない場合、または対象外の方がご来場の場合には、その場で定価料金をお支払いいただきます。

    • 申込受付開始
    • 2025年9月4日(木)11:00
    • ※上限枚数に達し次第、受付を終了いたします。



    • 注意事項
    • ※会員登録は不要です。
    • ※無料会員、IFC会員の会員IDではご予約できません。
    • ※チケットご予約の際、座席ごとに子供無料対象者全員の氏名カナ、生年月日をご入力ください。
    • ※申込内容のご確認はhttps://piagettii.s2.e-get.jp/follies/pm/『会員登録せずに予約・購入された方はこちら』よりご確認ください。
    • ※一般(同伴者)の割引はございません。
    • ※WEB・お電話ともに、チケット代が無料の場合でも、支払手数料及び発券手数料をお支払いいただきます。
    •  ・支払手数料 189円/申込1件あたり
    •  ・発券手数料 127円/1枚あたり
    • ※お申込から7日間以内に支払いのない場合は自動的にキャンセルとなります。
    • ※支払完了後の内容変更やキャンセルによる返金はいたしかねます。
    • ※チケットの譲渡、転売は禁止です。不正転売が確認された場合、該当チケットは無効となります。
    • ※ご予約時にご入力いただいた子供無料対象者ご本人のみ、ご入場いただけます。
    • ※お子様のみでのご鑑賞が難しいと判断される場合は、保護者の方と同伴でのお申込みをお願いいたします。
    • ※お子様がご自身で申し込む場合は、事前に保護者の方に同意を得たうえでお申込みください。
    • ※公演終了後、子供無料座席で公演を鑑賞された方を対象に、アンケートをお送りする場合がございます。アンケートへのご協力をお願いいたします
    • ※いかなる場合(紛失、焼失、破損等)においてもチケットの再発行はいたしません。公演当日はチケットを必ずお持ちください。
    • ※車椅子スペースのご予約はお電話で承ります。オールスタッフまでご連絡ください。

    子ども
    文化庁ロゴ
    Ninoshima Tour

    広島公演応援ツアー

    カール・ユーハイムについて

    カールイラスト
    Über Karl Joseph Wilhelm Juchheim

    カール・ユーハイム

    1886

    0歳-21歳 / 0 -21 years old

    1886年12月25日、ドイツ帝国のプロイセン王国ヘッセン=ナッサウ州カウプ・アム・ラインで父・フランツ、母エマの10番目の子として生まれました。お菓子屋さんになろうと思ったのはクリスマス生まれだから! カールは国民学校卒業後にシュトラールズントのお菓子店で修行をしつつ、職業学校にも通いました。
    Born December 25, 1886.
    He was born in Kaup am Rhein, Hesse-Nassau, Prussia, Germany, the tenth child of Franz and Emma.The reason he decided to become a confectioner was because he was born on Christmas! After graduating from the state school, Karl apprenticed in a confectionery shop in Stralsund and attended a vocational school.

    0
    1908

    22歳 / 22 years old

    菓子店協会の会長に勧められて、ドイツの租借地だった青島市の喫茶店に就職します。租借地というのは、ある国が、ほかの国から一定の期間、統治した国のことです。日清戦争後の三国干渉によって、ドイツは青島市のある膠州湾(こうしゅうわん)を租借していました。

    At the recommendation of the president of the Confectionery Association, Karl found a job at a coffee shop in Qingdao City, which was rented from Germany. Leasehold land like Qingdao is a country that has been ruled by another country for a period of time. Germany leased Jiaozhou Bay, where Qingdao is located, as a result of the Triple Intervention after the Sino-Japanese War.

    22
    1909

    23歳 / 23 years old

    カールはジータスブランベック菓子店を譲り受けます。カールの作るバウムクーヘンは本場ドイツの味にそっくりだと評判になりました。

    Karl took over Zitas Brambeck Confectionery. The Baumkuchen made by Karl became popular in the town because it tasted exactly like the one in Germany.

    23
    1914

    24歳 / 24 years old

    結婚相手を探すため、ドイツに一度帰国します。そして1914年春にエリーゼ・アーレンドルフと結婚し、7月28日に青島で結婚式を挙げました。

    Karl returned to Germany to find a spouse. In the spring of 1914, he married Elise Arendorff in a wedding ceremony in Qingdao on July 28.

    24
    大阪俘虜収容所写真
    1914-1915

    25歳 / 25 years old

    結婚式の直後、8月1日、ドイツはフランスとロシアに宣戦布告し、第一次世界大戦に参戦します。イギリス、フランスなどの連合国軍側についた日本は、ドイツに宣戦布告します。青島は日本軍の攻撃を受け、11月に陥落します。カールは兵士ではありませんでしたが、1915年9月に日本軍の捕虜となり、大阪俘虜収容所へ移送されます。エリーゼは1915年に青島で長男カールフランツを出産します。

    Shortly after Karl and Elise's wedding, on August 1, Germany declares war on France and Russia, entering World War I.Japan, on the side of the British and French allies, declared war on Germany.Qingdao city was attacked by Japanese forces and fell in November.Karl was not a soldier, but was captured by the Japanese in September 1915 and transferred to a prisoner-of-war camp in Osaka.Elise gave birth to her first son, Karl Franz, in 1915 in Qingdao.

    25
    1917

    30歳 / 30 years old

    大阪俘虜収容所から広島県の似島検疫所へ移送されます。

    Karl is transferred from the Osaka POW Camp to the Ninoshima Quarantine Station in Hiroshima Prefecture.

    30
    1918

    31歳 / 31 years old

    1918年11月11日、第一次世界大戦が終戦。日本にいたドイツ人は解放となります。

    On November 11, 1918, World War I ended. Germans in Japan were released.

    31
    1919

    32歳 / 32 years old

    1919年3月4日、似島検疫所のドイツ人捕虜が作った作品の展示即売会を広島県物産陳列館にて開催。カールは日本で初めてバウムクーヘンを販売しました。

    On March 4, 1919, the works of German POWs from the Ninoshima Quarantine Station were exhibited and sold at the Hiroshima Prefectural Products Exhibition Hall.Karl was the first to sell Baumkuchen in Japan.

    32
    1920

    33歳 / 32 years old

    東京、銀座尾張町17番地の明治屋が経営する洋菓子喫茶「カフェー・ユーロップ」に採用されます。

    Karl was employed at "Café Europe", a western confectionery cafe run by Meijiya at 17 Owaricho, Ginza, Tokyo.

    33
    1921

    34歳 / 34 years old

    カールはエリーゼと息子カールフランツ(通称ボビー)を青島市から日本に呼び寄せ、カフェ−・ユーロップの3階で暮らすことに。

    Karl invited Elise and her son Karlfranz (commonly known as Bobby) from Qingdao to Japan to live on the 3rd floor of Cafe Europe.

    34
    1922

    35歳 / 35 years old

    カールは日本での永住を決意し、横浜の山下町に「E.ユーハイム」をオープンします。EはエリーゼのEです。ドイツ風の軽食を出して店は大繁盛しました。

    Karl decided to live permanently in Japan and opened "E. Juchheim" in Yamashita-cho, Yokohama.The "E" in the name of the shop is for Elise. Karl and Elise's store was very successful with German-style snacks.

    35
    1923

    36歳 / 36 years old

    1923年9月1日、関東大震災でE・ユーハイムは消失、カールは全財産を失ってしまいます。カールは家族とともに神戸市の知人の家に身を寄せ、神戸で再起を図ることにしました。カールは世界的バレリーナのアンナ・パヴロワに神戸市の三宮町の「サンノミヤイチ」と呼ばれる3階建ての洋館に店を構えるよう勧められ、震災の救済基金から借りたお金を元手に喫茶店「JUCHHEIM'S」(ユーハイムズ)を開店します。当時神戸には外国人が経営する喫茶店がなく、「JUCHHEIM'S」は多くの外国人客でにぎわいました。

    E. Juchheim disappeared in the great earthquake that occurred in Japan on September 1, 1923. Karl lost all his fortune. Then, Karl decided to take refuge with his family in his acquaintance's house in Kobe and attempt a comeback there. Karl was encouraged by Anna Pavlova, a world-famous ballerina, to set up a shop in a three-story Western-style building called "Sannomiyaichi" in Sannomiya-cho, Kobe. At that time, there were no coffee shops run by foreigners in Kobe, and “JUCHHEIM'S” was bustling with foreigners.

    36
    1937

    50歳 / 50 years old

    カールは体調を崩し入院。ドイツに帰国させて治療を受けさせることにしました。数年後、カールは病気が治り、日本へ戻りましたが、以前のように元気に働くこともできなくなっていました。

    Karl fell ill and was hospitalized. Elise decided to send Karl back to Germany for treatment. A few years later, Karl was cured and returned to Japan. However, Karl could no longer work as vigorously as he used to.

    50
    1941

    54歳 / 54 years old

    日本は太平洋戦争に突入。戦況が悪化するにつれ、材料の不足によりお菓子を作りたくても作ることができなります。

    Japan entered the Pacific War. As the war situation worsened, Karl couldn't make sweets even if he wanted to, because of the lack of ingredients.

    54
    1942

    55歳 / 55 years old

    息子カールフランツがドイツ軍に徴兵。(1945年5月6日ウィーンにて戦死、享年30)

    Karl's son Karlfranz was drafted into the German Army. (Karlfranz died in action in Vienna on May 6, 1945 at the age of 30.)

    55
    1945

    58歳 / 58 years old

    6月、空襲で工場も動かせなくなり、カールは家族とともに六甲山ホテルで静養することに。

    In June, the air raid made the factory unusable, and Karl decided to rest at the Rokkosan Hotel with his family.

    58
    1945

    58歳 / 58 years old

    6月、空襲で工場も動かせなくなり、カールは家族とともに六甲山ホテルで静養することに。8月14日午後6時、カールはホテルの部屋で椅子に座り、エリーゼと語り合いながらこの世を去りました。カールは亡くなる直前に「自分は間もなく死ぬが戦争はすぐに終わり平和が来るだろう」と語りました。8月15日、太平洋戦争終結。

    In June, the air raid made the factory unusable, and Karl decided to rest at the Rokkosan Hotel with his family.At 6pm on August 14th, Karl passed away sitting in a chair in his hotel room, talking with Elise.Just before he died, Karl said, "I will die soon, but the war will soon end and peace will come."On August 15, Japan surrendered, ending the Pacific War.

    1945 - 1971

     — 

    カールの死後、エリーゼとカールフランツの妻子はドイツに強制送還。
    1948年、かつて「JUCHHEIM'S」に勤務していた3名がお店の復興を目指して任意組合ユーハイム商店を設立。
    1950年、生田神社西門前に本店を開く。
    1953年、エリーゼがドイツから再来日し、会長に。
    1961年、エリーゼが社長に就任。エリーゼは「死ぬまで日本にいる」と宣言します。
    1971年5月2日 エリーゼは兵庫県神戸市で亡くなりました(享年80)。

    After Karl's death, Elise and Karl Franz's wife and children were deported to Germany.In 1948, three employees who used to work at "JUCHHEIM'S" established “Juchheim Shoten”, a voluntary union company with the aim of restoring the store.1950 Opened the main store in Kobe City.In 1953, Elise came to Japan again from Germany and became the chairman of “Juchheim”. In 1961, Elise became the president. Elise declared that he will stay in Japan until he died. On May 2, 1971 Elise passed away in Kobe City, Hyogo Prefecture (age 80).

    お墓

    ユーハイム夫妻の墓は兵庫県芦屋市の芦屋市霊園にあります。お墓には「平和を創り出す人達は幸いである」と書かれています。

    The grave of Mr. and Mrs. Juchheim is located in Ashiya City Cemetery in Ashiya City, Hyogo Prefecture.The inscription on the grave reads, "Blessed are those who make peace."

    ミュージカルナンバー

    ♪ へいわのうた

    A song for our peace/ Heiwa-no-Uta

    作詞 大西弘記/作曲 田中和音

    ♪青い空 白い雲 その下で 呼吸する   夢はなに どんな夢 聞かせてよ 君だけの
     夜の帳の香りがやってきた   世界が眠ったころに
     丸い地球の上で   本当の平和が知りたくて
     夜空には 月と星 その下で 目をこする   まばたきを するたびに 形を 変えてゆく
     朝日が昇って始まる一日   世界のどこでも同じはず
     丸い地球の上で   みんなで一緒に みんなと一緒に
     キミモボクモ アナタモワタシモ   みんな みんな 大切な命

    Blue sky White cloud We breathe under the sky.
    What is your dream? What kind of dream? Let me know your only dream.
    A day that begins with the rising sun should be the same anywhere in the world.
    On the round earth, we all are looking for real peace
    We are the one as you-all, and do together with everyone
    You-all girls and boys, and you and me.
    Every life is eprecious life of everyone.

    ♪ ヒロシマの風に吹かれて

    Blowing in the wind of Hiroshima

    作詞 大西弘記/作曲 田中和音

    ♪私たちが暮らす広島 今はとっても平和だけど
     ユーハイムが生きていた時代では 広島は軍の都だった
     私たちが今いる似島 陸軍の検疫所が置かれてた
     戦場から生きて戻った兵隊たちが 立ち寄った島だった
     原爆が墜とされた広島 今も忘れず伝えてゆく
     現代に生きる私たちに出来ること それは何でしょうか
     ヒロシマの風に吹かれて 瞳を閉じたら 何が見える 誰が映る
     生きている人 生きていた人
     ヒロシマの風に吹かれて 瞳を開けたら
     呼吸しよう 精一杯にしよう 生きていた人たちの 願いも胸に
     感じて 考えて 想って……
     私たちが今いる似島 原爆が広島に墜とされた後
     被爆者一万人を受け入れた 哀しい野戦病院だった
     ヒロシマの風に吹かれて 私たち生きている
     いつも どこでも いつまでも 大切な命を繋いでゆく ヒロシマの風

    Hiroshima, where we live, is very peaceful now.
    In the time when Juchheim was alive,Hiroshima was a military city
    Ninoshima, where we are now, used to be an army quarantine station.
    Soldiers who survived the battlefield It was the island where we stopped
    Hiroshima, where the atomic bomb was dropped What can we, who live now in peace, do?What is that?
    Blowing in the wind of Hiroshima, when I close my eyes what can be seen? Who can be seen?
    alive men, and used-alive men.
    Blowing in the wind of Hiroshima and opening my eyes, let's breathe with our best.
    Let feel the wishes of those who were alive, also in my heart.
    Feel, think, imagine...
    In Ninoshima where we are now, after the atomic bomb was dropped on Hiroshima,
    they accepted 10,000 A-bomb survivors. It was a sad field hospital
    Blown by the wind of Hiroshima, we are alive
    always anywhere forever The wind of Hiroshima connecting precious lives

    ♪ わたしのやりたいこと

    作詞 大西弘記/作曲 田中和音

    ♪はじめてバウムクーヘンを作ったとき はじめて誰かに食べてもらったとき
     あんなにも美味しそうな笑顔に 自分の見付けた生きる道
     はじめてバウムクーヘンを食べたとき
     僕はこんなにも幸せな気持ちに それって何だろうという思いに
     だから僕はこの島に
     いちばんにやりたいこと それはたったひとつ
     バウムクーヘンを食べてくれる 誰かを幸せにしたくて
     ララランラン ララランラン ラ〜
     ララランラン ララランラン ラ~
     いちばんにやりたいこと それはひとつだけ
     バウムクーヘンというお菓子で
     世界を幸せにしたくて 世界を幸せにしたくて
     ララランラン ララランラン ラ~
     ララランラン ララランラン ラ~

    バウムクーヘングレートジャーニー

    Baumkuchen Great Journey

    作詞 大西弘記/作曲 田中和音

    ♪バウムクーヘングレートジャーニー バウムクーヘングレートジャーニーって英語?
     そうじゃよ 素晴らしい旅をしたということじゃ
     誰が?
     バウムクーヘングレートジャーニー
     バウムクーヘングレートジャーニーってバウムクーヘンが?
     ドイツ人が作ったそうで お前にも食べさせてやりたいと
     子どものころ よく言ってた ワシが大人になって
     それでもだいぶ経ってから 広島の百貨店で初めて見かけたときは 嬉しかったでよ
     バウムクーヘングレートジャーニー 素晴らしい旅をしたバウムクーヘン
     バウムクーヘングレートジャーニー 僕も好き お母さんも好き おじいちゃんも好き
     おじいちゃんのお父さんもすき
     バウムクーヘングレートジャーニー 
     ひいおじいさんからじいちゃんへ じいちゃんから母さんへ そして僕に

    Baumkuchen Great Journey
    Is the word “Baumkuchen Great Journey” English?
    That's right, That is meaning there was a wonderful trip.
    who?
    Baumkuchen Great Journey
    Baumkuchen Great Journey is Baumkuchen?
    I think it was made by a German.
    My father well said that he wanted to feed me, too as childhood.
    Still after some time, I was growing up.
    When I first saw Baumkuchen at a department store in Hiroshima, I was so happy.
    Baumkuchen Great Journey Baumkuchen that made a great trip
    Baumkuchen Great Journey
    I like it too, my mom likes it too, my grandpa likes it too, I like grandpa's dad too
    Baumkuchen Great Journey
    great -grandfather to grandpa From grandpa to mother ,and to me.

    ミュージカルナンバー

    • バウムクーヘン へいわのうた
      04
    • バウムクーヘン バウムクーヘンを愛する男の子
      04
    • バウムクーヘン バウムクーヘングレートジャーニー
      04
    • バウムクーヘン 広島湾に浮かぶお菓子の島
      04
    • バウムクーヘン 1917(ナイティーンセブンティーン)
      04
    • バウムクーヘン その傷口さえも
      04
    • バウムクーヘン 私のいちばんやりたいこと
      04
    • バウムクーヘン ヒロシマの風に吹かれて
      04
    • バウムクーヘン トマトの涙
      04
    • バウムクーヘン 同じクスノキのそばで
      04
    • バウムクーヘン 再会という出逢い
      04
    • バウムクーヘン 僕と貴方と
      04
    • バウムクーヘン 戦争が終わる頃に
      04
    • バウムクーヘン 月をならべて
      04

    F.A.Q/ご来場前にご一読ください

    カールイラスト
    • 出演者降板のお知らせ

      出演を予定しておりました、堀内穣におきましては諸般の事情により降板となりました。出演を楽しみにして頂いた皆さまには申し訳ございません。なお、代役は決定次第、お知らせいたします。ご了承ください。
      《9月3日追記》プレヒト役は、和田裕太(東宝芸能所属)がつとめます。なにとぞよろしくお願いいたします。

    • 開場時間について

      受付開始及びロビー開場は開演時間の45分前、客席開場は開演時間の30分前を予定しております。

    • 上演時間について

      1時間40分を予定しております。途中休憩はございません。

    • 上演開始時間を過ぎても入場できますか?

      スタッフがご案内いたしますので、指示に従って客席内にお入り下さい。

    • プレゼントやファンレター、差し入れについて

      出演者および公演関係者へのプレゼントはご遠慮ください。受付にてのお預かりも出来ません。

    • お祝い花について

      スタンド花、アレンジメント花などロビーや楽屋に花を飾ることは出来ません。また出演者、スタッフなどへの花束も辞退させて頂きます。

    • 手荷物について

      ロビーのスタッフまでお申し付けください。なお、貴重品、お召し物、傘はお預かりできません。

    • 劇場内での飲食について

      客席内でのお食事はご遠慮ください。フタ付きのペットボトルやマイボトルでの給水は可能ですが、フタが閉められないカップは持ち込むことが出来ません。ご飲食はロビーにてお済ませください。

    • 喫煙について

      館内での喫煙はお断りしております。屋外に灰皿が設置されていますのでそちらをご利用ください。

    • 親子室の利用について

      可能です。事前にオールスタッフまでお電話にてご連絡いただくか(電話 03-5823-1055 平日11:00〜18:00)、当日、会場係へお申し付けください。但し、席数には限りがございますのであらかじめご了承ください。

    • 車椅子のご利用について

      車椅子専用の観劇スペースがございます。オールスタッフまで直接お電話にてお申込ください(電話 03-5823-1055 平日11:00〜18:00)。

    • 劇場内での禁止行為について

      ◎上演中の私語や、大声を出す、身を乗り出して観劇する等、周りのお客様のご迷惑となる行為は固く禁止とさせていただきます。
      ◎後ろや隣の方の観劇を妨げるような髪型、服装及び帽子を着用しての観劇は禁止とさせていただきます。
      ◎客席内でのカメラ、ビデオカメラ、録音機器、携帯電話等での録音・撮影は禁止いたします。これらの行為は法律でも禁止されております。そのような行為があった場合は、機材をお預かりさせて頂き、退場いただくこともございますのでご注意ください。
      ◎お荷物の放置は盗難の原因となりますので禁止いたします。万が一、荷物の盗難があった場合、 主催者・会場・出演者側では一切責任を負いませんのでご注意ください。

    • チケットについて

      ◎チケット購入後の変更、キャンセルについて
      公演中止の場合を除き、チケットの変更・キャンセル・払い戻しは一切出来ません。ご了承の上、お買い求めください。
      ◎チケットの紛失について
      いかなる場合(紛失、焼失、破損等)においてもチケットの再発行はいたしません。公演当日はチケットを必ずお持ちください。
      ◎当日券の販売について
      開演45分前より販売を予定しております。料金は5,500円(税込)です。割引チケットの当日販売はございませんのでご了承ください。